場つなぎの運命/エーオー
1.Thu/p.m.9:58
わたしには“運命”が降ってくる。
積んだ本やとりあえずそこに置くことにした書類で埋まった机を、ぞんざいに掻き分けてA4ノートのスペース分だけ空ける。急いで髪を乾かしたからまだ半渇きだけど、もういい。ミルクティーが用意できればかなり余裕がある方で、後で歯を磨く手間を考えて大抵は白湯になる。暖かいものは、落ち着くから大切。
椅子の上だけど胡坐をかいて待つ。シャーペンをすぐ握れる場所に用意して携帯でツイッターのタイムラインをひたすら更新して待った。時計を見て、10時ぴったり。
—―『桜』、『金属』、『希薄な恩返し』——。
勢いよくシャーペンを動かしていく。
木曜日の夜10時、わたしには運命が降ってくる。
2.Fri/p.m.
「まあ、言い方だよね」
「……言い方、ですか」
手ごたえのない花だ。朝は人身事故で遅延した電車の窓から、川沿いに咲き誇るその春の花を見た。オフィスからも近くの公園も満開のころだ。
オープンスペースの端の机で、先輩が渋い面持ちをつくって言った。”社会人”と顔に縦線が刻まれているようだった。
「いや、ハリマさんが間違っているわけじゃないんだけど、間違ってないんだけど、世の中そのまま言い切らないでちょっと余地を持たせた方がいいこともあるわけよ」
「……はい」
「『これをこうします!』って言いきり方だと、相手はそれが決定事項だと思っちゃうわけ。だから、例えば、『ちょっと仮にこれを、こうしたいなと考えてみたんですけど、それってできたりしますかね?』とか、疑問形で相手に投げるとかさ」
「あ、はい。なるほど……」
社会人人生は二周目に差し掛かった。わたしが一昨日顧客とのやりとりで揉めたことについての話だった。既にこの件に関しては先輩が先方に電話をして、全てひっかぶった後だった。
「もちろん相手にもよるけどね。ちゃんと喋った方がいい相手はもちろんそうしたほうがいいけど、言葉は砕けても持ち上げた方が意思疎通できることもあるだろうし」
「はい」
「まあ、答えはないからさ。特に営業だし、それこそ人柄で許されるってところもあるから――」
会議室に繋がる扉が開いた。何人かが出入りしているところだった。10時のチャイムが鳴り、オフィス内が少しざわついて、そういうことで、と先輩と今後の対応の仕方を話し合って立ち上がった。
一瞬、言うか言わないか迷ったように立ち止まって、声をひそめて先輩は告げた。
「あのさ、ごめんな、言い方きついかもしんないけど、ハリマさんは融通がきかないって印象がつくとそれはよくないからさ」
そういう前置きをする先輩の言うことは、いつもそこまできつくないのをわたしはもう知っている。
「……いえ、先輩がおっしゃる通りだと私も思うので、気をつけます」
何かを成そうとすれば、言わなければならないことができ、それを相手を慮って言うことはさらに難しい。だから、人をいたずらに傷つけないで伝えることが当たり前のように良しとされるこの環境は恵まれているとさえ思う。
もう一度、窓から外を見た。丸く生えた緑の芝生とくりぬかれた砂の道でできたお手本のような公園が眼下にある。明るい光の下で桜の花びらは彩度を欠いて、四月特有の大気の霞みと相まり、群を成して咲いているのに呆けて見えた。
冴えない。景色も頭も。
2 Mon/p.m.11:00
眼科でさんざん待たされた帰りだった。あらゆる壁面に鏡がはめられて自分の腑抜けた姿を意識させられる院内のつくりも、顔に刻まれた隈をまざまざと見せつけられる青白いライトもぜんぶ気に入らなかった。
「——なんか、ほんとコミュニケーションをとってこなかったツケが回ってきたみたいな」
「相手と喋り終わってからあーすればよかったなって気づくんだよね」
『うん』
「こう、根本的に営業職に向いてない気もする」
やっとのことでもらってきたコンタクトレンズを机に置く。定期的にレンズを郵送してもらうプランに入ったが1年の更新手続きを怠って2か月が経過していた。レンズがなくなりそうになって今日慌てて処方箋をもらいに行き、その登録更新はこれからしなければならない。2か月前に届いたメールをなんとか探し出し、ブラウザを開く。なかなか立ち上がらない。諦めて受信したメッセージを先に見ることにした。
『それはさー、まだわかんないしそこであきらめちゃだめじゃない?』
『今の段階では』
ラインを一度閉じる。ようやく入力項目の案内のあるページが現れた。パスワードを入力する必要がある。舌打ちした。もちろん覚えていなかった。
『もう馬鹿のふりしときゃいいじゃん。口でははいはいすいませんでした~って持ち上げて言っといて心の中ではクソって思っとくとかさ、よくあるおだてて持ち上げるってやつだよ』
「いや、そうするけどさ」
『そんなこと世の中でいっぱいあるよきっと』
『いちいち真面目に受け取りすぎなんだよ』
『そこはまあ、私の場合は適当すぎるかもしんないけど』
メッセージに既読を積もらせる。隔たりはついぞ埋められず、そのまま携帯を机に伏せて風呂に入る準備を始めた。
——『桜』、『金属』、『希薄な恩返し』——。
大丈夫、大丈夫よ。わたしは大丈夫。
3.Wed/p.m.7:00
広場の中央通りを二列、両側から囲うように桜が並び立って花道の終わりさえ見えないほどだった。その桜が続けば続くほど、同じ長さのブルーシートがその下に敷かれ、そのしわに赤銅色の行燈の明りが反射して鉄道模型に流れる川みたいにノスタルジックに光っていた。
上野公園が花見スポットだなんて初めて知った。 いつも公園には目もくれず、外側だけ淵をなぞって恐竜のいる博物館に一目散だったからだ。
「それでは、新卒社員の皆様の入社を祝して、乾杯!」
ビールケースで作られた簡易的なテーブルで、社員一同向かい合って杯を掲げる。人事の鮎川さん主導でかなり頑張って競争率の高いこの会場を確保したとの噂だった。
「ーーさんは大学で何を勉強してたの?」「もう同期の子とは喋ったりしたーー?」「ーー卒業旅行はどこに行ったの?」
みなひとくち飲み物に口をつけ、おずおず感触を確かめるような会話が飛び交い始めた。大丈夫。近くにいる鮎川さんは人事の手腕でリズムよく会話をつなげ、相手に程よくつっこんだりおどけたりしている。宴会の端っこの方から早くもわっと歓声が上がった。私はボールが途切れた時のために、振れそうな話題を必死で探す。もう先輩になってしまうし、それぐらいしないと。そういうつもりだけど。よくたわむ透明の使い捨てのコップは、握るたびに中の液体が不安定に傾いだ。
「ハリマさん、楽しんでる?」
半時ほど時間が経過したころだった。隣にある君島さんが話しかけてくれた。その拍子にガガガッ、とビールケースの机と地面が擦れる音が鳴った。反射的に身がすくみ、手からコップをとり落としそうになる。
「あっ、はい。お疲れ様です」
「今ね、〇〇くんが映画の話してたけど、ハリマさんたしか大学そういうの勉強するとこだったよね」
物と物のこすれる音がだめになってしまった。分類すればそれは爪で黒板を引っ掻いた時と同じで、普段は聞いた瞬間だけ不快感を覚えて終わるはずなのに、嫌な感覚が持続して、何度もぞわぞわと落ち着かなくなる。ふとした時にその音が過ぎり、いつそれが頭の中で鳴るか怯えながら過ごしているのに、いっそ突き抜けるまで聞き続けて慣れてしまいたいような、自己破壊的な願望が理性を超えて遁走し、自分で自分の身をえぐるようにその音の感覚をひたすら思い出してしまう。
「そうですね、映画見てレポートとか書く感じでした」
「へえ~、おもしろそうだね」
「おもしろかったです。こう、世の中で考えたらきりがないよって言われる倫理みたいなものに、自分なりに理を通して一度答えを出すのが楽しくて、」
桜は、無為に積もったおがくずのように重さを感じさせることなく宵闇にぼやけていた。大きくしすぎた綿あめのような行き場のないほどの満開さだった。
「ハリマさんは好きなこと話すときに目が輝くね」
そう言って君島さんは笑って、ビールを一口煽った。わたしはその返答の逆説を考えて口をつぐもうかと思ったけど、他に話せることがなかったのでつっかえながらそのまま続けた。近くにいるみんなはにこにこそのまま話を聞いている。ああ、これはドラマでよく見る和気あいあいとした職場を表すシーンみたいで、こういう”ふつう”の光景は本当にあるんだなあ。
頭では分かっている。みんなが優しいこと。わたしが所在なさげにしていたから話しかけてくれたこと。でも全て演出みたいに見えてしまって、わたしを満たしてはくれない。
石畳の窪みに砂利と一緒に桜の花びらが吹き溜まる。月光をうけてちらちらと、固く光って花は散っていた。
4.Thu/p.m.9:00
”ある集団が、個々人ではどうしようもできない大きな運命に晒されたときに、その成員一人ひとりに、それまで自身も自覚していなかったような価値観、世界観が表出し、それがぶつかりあうことによってドラマは展開していく。”
———『分かり合えないことから』平田オリザ
最後の追い込みだった。ノートとひっきりなしに見比べながら必死でキーボードを叩く。大丈夫、うまくはないけど話の筋はなんとか引き寄せられてる。伏せて開きっぱなしにした小説をひっくり返してフレーズを頭に入れる。わかるわかる、この文体のテンションで書いてみたかったの。
木曜日の夜10時、わたしには運命が降ってくる。そう決めた。これは前回の運命を自分で作りきろうとしているところ。現実の事象が脈絡なく通過していくだけで、革命はわたしには起こらないから手作りするしかなかった。私は物語を書いてこの世に理を通す。
自分の意識の持ち方次第でつまらないと思っていたことも面白く感じられたら伸びる? 馬鹿も休み休み言えよ。ゼロの状態から脳みそを楽しいよって騙すにもコストかかってんだよ。
話すだけで心が軽くなるとか本当に思ってんのか? 同じ業を抱えた人間以外はみんな芯を外したアドバイスしかしてこないのに、でも笑ってありがとうって受け止めなきゃいけないし、話してその場では浮上してなんとかなった気になっても、家に帰ってから何も解決してなかった問題が素知らぬ顔でおっ立ってんのに独りで向き合わなきゃなんないんだよ。
重みなく降り積む、心まで沁みこまないやさしさをふりきって無視してわたしは刃を研ぐ。その刃で無理やり不完全でも正体を暴こうとした私に歯向かう事象を切りつけたい。咲く花より、散る瞬間に鋼のようにぎらっと煌めいて落ちた花弁のほうががいい。ぐちゃぐちゃに踏みつけてどす黒いジュースにして鋳型に流し込んでガンガンに固めたい。
回れよドラマ。三題噺が、遠心分離機のように、和紙をつくる木の枠のように、わたしを苦しめるものに片をつけて名を与えてくれますように。わたしを押しつぶしてならそうとする歯車があったことを、せめてこの断末魔を記録することで怨念が残ってあとの人が復讐を遂げてくれますように。
もうすぐ10時。私は次の運命を待つ。こうやって持ちこたえているうちに、ほんものの撃鉄がわたしにどうかあってほしい。
———————————
to 黛
というわけで、書く場所をくれて本当にありがとう。さらざんまい面白いですね。完全にピンドラを頭に流しながら書きました。
わたしの地獄/黛
to エーオー!さん
お待たせしましたすみません!
自分の「書けない」が甘えなのか、持病のメンヘラなのか自身では判断が難しいです。
何が正解なんだ‥‥。
パニック発作、抑うつ、軽度のアルコール依存症を併発したわたしも、必須単位数ぴったりで無事大学を卒業しました。
桜の咲く季節は別れの季節。
度重なるオーバードーズで詳細な記憶を保持することや、過去の関係性を続けること、同じ団体に所属し続けることがどうにも下手糞なわたしにとって、決別するための季節が用意されていることは、吐しゃ物とアルコールに塗れた人生を切り抜けるための一つの希望でした。
小学校なら6年、中学・高校なら3年、大学なら4年。
青春のある程度の時間を息を潜めて粛々と過ごせば、少しはマシな次のステップへ進める。
そしていつか、「学生」という鉛のような枷を外すとき、わたしは初めて自分を助けることができる。
飛び降り、切腹、オーバードーズ、首吊りと、何度か人生のドロップアウトを試みたわたしですが、こんな女にも一応、希望と呼べるようなものがあったのです。
それは、「親の加護から外れる」ことでした。
わたしは両親共働きの中流家庭に生まれました。
高校までの狭い界隈では、頭もよく、読書家で博識。礼儀正しく、大人しい。
親の言いつけは何でも全て守り、5つ下の妹の面倒も見、家事も手伝い、文句は言わない。
近所でも評判の<いい子>。
恐ろしく完璧に<いい子>だったという自覚があります。
なぜなら、<いい子>でなければ母親に存在を無視されたからです。
母は、「しつけ」というものが実はよくわかっていなかったのではないでしょうか。
食卓を囲むとき、母へ少し文句を言ったり、友だちの家とおこづかいの額を比べてよその家を羨んだり、(これは全くの事実無根の濡れぎぬだったのですが)嘘をついたりしたとき、母は露骨に眉を潜め、視界にすら入れたくないという顔をしてむっつりと口を閉じました。
母の「しつけ」は、母が気のすむまで行われました。
朝のあいさつは返ってこない。料理以外の全ての家事をして、おかえりと声をかけても返事はない。食事中に一生懸命話題をつくって話しかけても、母はわたしを一瞥もしませんでした。
父は私が中学を卒業するまで単身赴任で家には居らず、母の機嫌がなおるまで、黛家の食卓は凍りついていました。
ところで、最近、母は犬と人間の「しつけ」を混同していたのではないかと思い至りました。
「しつけ」として徹底的に無視をする手法は、主に飼い主が犬を従順になるよう調教するために行われます。
祖母のすむいとこの家と実家を行き来するちょっと変わった飼い方で、実家でトイプードルを飼っているのですが、トイレトレーニングをする際、ネットで調べたら「粗相をしたら無視をする」という方法が紹介されていて、笑ってしまいました。
結局、犬をしつけるつもりだったのは家族の中でわたしだけで、母も祖母も、粗相をしようがマーキングをしようが犬を溺愛し、結果彼は若くしてオムツをつけて生活することとなりました。
話を元に戻します。
とにかく、わたしにとって当時の実家は、決して心安らぐような場所ではなく、母親とはいつわたしを捨てるとも知れない恐ろしい存在でした。
少しでも母の表情が歪むと、心臓に激痛が走ります。
母の機嫌を損ねないよう、出された食事は多くても食欲が無くても全て食べきっていましたが、母が風呂に入っている間にこっそり吐いた経験は、片手では足りません。
毎日必死に話題を作り、母の顔色を窺って生活していたあのころから、わたしは絶対に大学入学をきっかけに地元から離れると心に誓いました。
一刻もはやく、少しでも遠く、なるべく人の多い所で、親の支配を免れて暮らしたかったのです。
今日まで続く全ての疾患の原因は、間違いなく母の「しつけ」です。
母は、わたしが一番初めの自殺を試みたとき、カウンセラーの先生からこの事実をわたしの前で聞かされました。
母は、狭いカウンセリングルームで「黛ちゃん、ごめんなさい」と涙を流しました。
最低だ、と思いました。
この20年の地獄が、「ごめんなさい」の一言で済むだろうか。
「お金がない、自殺未遂をした」と送ったメッセージの直後、口座に増えた10万円。
その金で、一体わたしの過去の何が補填されたのか。
母はもう、わたしにお金を渡すしかできません。
生涯消えない深すぎる傷をわたしに植え付けた母自身ですら、わたしを助けることはもうできないのです。
自傷としての嘔吐は、未だに続いています。
小学校5年、塾の全国模試で国語で満点を取り、わたしは全ての小学生の中の一位になりました。嬉々として母に見せると、明日みるからと返され、ダイニングテーブルの上に置きました。
翌朝、結果のプリントされたその紙は、ごみ箱に破かれて捨てられていました。
中学2年、今思い返しても理不尽に大きな声で怒鳴りつけることを「指導」と呼ぶ教師たちが恐ろしくて不登校になりかけた日、「お前の生き方は間違っている」と母は2時間、わたしに話して聞かせました。
母に無視されるのが恐ろしくて、わたしは毎日学校のトイレで胃液を吐きながら中学に通いました。
あからさまにわたしのことが嫌いな女性顧問の居た吹奏楽部もやめられませんでした。
高校2年、文化祭・体育祭での無理がたたり、過呼吸で倒れ、保健室に運び込まれたわたしを迎えに来た母は、後部座席に横たわるわたしを一瞥もせず「情けない。ため息が出る」と言いました。
いろんな大人に、友人に、助けを求めました。
でも、わたしは助かりませんでした。
当然です。
みんな、自分の日々の生活しか頭にないのです。
すぐ隣の人間が、いますぐ死のうとしていても、助ける義務なんてだれにもないのですから。
孤独で爛れた胃を守るように蹲って、両親に見つからないよう声を上げない泣き方を見つけました。涙を見せると「不細工だ」と嘲笑されるからです。
誰かに助けを求めることを辞めました。無視されることが恐ろしかったからです。
そうして、5480日に及ぶ孤独との戦いの上、今、わたしは死に損なって生きています。
あんなに沢山死のうとしたのに、こんなにつらい思いをしたのに、死ぬべき瞬間はいくらでもあったのに。
何故か遂げることができずに今、泣きながらブログを書いています。
あの日のわたしへ、これからのわたしへ。
そしてわたしによく似た、愛するべきあなたへ。
世界はあなたのために廻っているわけではありません。
他人は助けてくれないし、奇跡は起きません。
傷を負わされたわたしたち自身が、お金を払って治療を受けねばならないほど、世の中は理不尽です。こんな傷が塞がっても、意味がある人生では決してないのに。
だけど、それでも、こんなに救いがなくても、今日を生き抜いたあなたと、あなたの見るオリジナルな地獄は目を見張るほど美しい。
誰かが見守ってくれてるわけじゃない。何のためでもない。
オリジナルの美しい地獄を、明日も明後日も、難しいなら今夜だけでも、一緒に見て居ようではありませんか。
その地獄を戦い抜く自分だけの正義を研ぎ澄ませて、煌めく殺意を握りしめながら。
黛(2019.3.29)
就活本に魂を抜かれたら『会社を綴る人』を読んでほしいこと/エーオー
to 黛
大変お待たせしております!
1月はほぼ体調不良でしたが、2月からはうまく行きそうな予感がします。
とにかく構成力が落ちたなあと思うので、筋トレみたいに文トレしないとですね……
~~~~~~~~
さて、今年も頭はぎりぎり痛み胃は捻じれる季節がやってきますね、就活です!
きっとこれから大学の説明会で輝くOBらが「自分語りを公然とできる機会なんてそうそうないので、就活って実は楽しいですよ〜!」などと述べることでしょう。なるほどね、一周回って分かりそうな原理だな、と当初は思っていましたがマ~~~~~~~~~ジで毛ほどもそんな感情になることはなく終わってみれば私の掌には握り固めた殺意しか残っていませんでした。人間には元来備わった気質というものがあります。私は紛れもなく“陰”の側です。
そんな私の陰鬱就活期は、まず就活本に取りつかれ妄想の中の面接に不安を増幅させ魂を抜かれるところから始まりました。説明会で企業理念をもろに浴びて感動反射で号泣したり、人事の喋り方の演じてる感に拒絶反応を起こしたり、スーツ姿で駅のホームの柱の周りを延々と回り続けたり、挙句の果てにESがどう足掻いても書けず3月下旬の深夜3時に説明会を片っ端からキャンセルし、裸足で家を抜け出してクソ寒い川に逆ロッククライミングし自殺を図ったりして一度頓挫します。序盤も序盤すぎないか……?
合わない人間には尽くトラウマを与える就活、もう1~2年前の出来事なのに(今はもうなんとか無事会社に就職さえしているのに)、コンプレックスは拭えません。自分よりうまく就活を進めている後輩を見ると嫉妬で黒々と臓腑が煮えたぎり、比喩でなく手に取れるレベルで脳が当時の荒涼とした空気感をリアルに再現し始めます。「漫画においてキャラの過去のトラウマが、黒い枠の中で展開される時とかこんな感覚かな?」みたいな妄想をする方向にしか汎用性がない感覚です。
そんな激鬱就活生だった私は、血液検査の結果を取りに行った小児科の待合室でこの本を読み、いい年して泣きながら診察券を受け取る羽目になりました。
- 作者: 朱野帰子
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2018/11/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
あらすじ:何をやってもうまくできない紙屋が家族のコネを使って就職したのは老舗の製粉会社。唯一の特技・文を書くこと(ただし中学生の時にコンクールで佳作をとった程度)と面接用に読んだ社史に感動し、社長に伝えた熱意によって入社が決まったと思っていたが――配属された総務部では、仕事のできなさに何もしないでくれと言われる始末。ブロガーの同僚・榮倉さんにネットで悪口を書かれながらも、紙屋は自分にできることを探し始める。一方、会社は転換期を迎え……?(後略)
もうね。何があれって、思い当たる節が多すぎる! まず1ページ目からメール一通書くのにゴリゴリ悩む主人公をわざわざ描写するのを見た時点で心のダムはフルーチェのようにもろもろになり、就職活動の最中に『完全自殺マニュアル』を図書館で借りて読む主人公の描写で完全に作者を信頼しました。たかがインフルの予防接種依頼メールに悩む主人公だぜ? わかる! ビジネスメールが組み立てられなさすぎて身体中に変な汗をかくあの感覚!『完全自殺マニュアル』は欲しくなるよね、わかる! 私は説明会に行く途中で「自殺 痛くない」でひたすら検索をかけては電車を飛び出して家に引き返した!
他にも、主人公に優しくはないけれど、あらゆるフォーマットや仕事の進め方の手順の記録物を持つ総務部上司の栗山さんは、自分は軽度の発達障害かな〜と疑う身にはなんとなく感ずるものがあったり、訳あってプレゼンを作成することになりトークで何とかしろとアドバイスを受けた主人公は「それは自分にはできない」ことを明らかにしてその上で解決策を練ったりする。そもそも、社史に感銘を受けて会社に入ろうとする主人公の気質こそ、いま考えれば近しく感じて手にとったきっかけかもしれない。
そういうものの一つ一つが、卑近な言い方だけど、でも物語を読む時に一番信じている、「これは、私だ…!」という感覚を呼び起こさせてこの本は絶対に裏切らないと思わせてくれた。
人間には元来備わった気質というものがある。たぶん、私は言葉が好きすぎて、本気で受け取りすぎてしまうから、就活本に取り憑かれて全く身動きが取れなくなって、企業HPにある言葉にさえ涙してしまう。そこに書いてあることなんて話半分で聞くもんだよと言われたって、でも偽物だと言い切るにはすこし芯がありすぎるから、無視しきれなくてコンパスの針が狂うように惑い、結局本気を原材料にすることでしか文章を書くことができない。だから、私は物語の終盤で、主人公の紙屋が選んだ道と彼の兄の言葉は救いだと思う。どうしてもなれないものに、気質に、社会に、決してなれとは言ったりしないでいてくれてありがとうと思ったのだ。
演劇部で鍛えた声の野太さにより川から引っ張りあげられ生き残った私が気づいたことは、頭の中で思い描いてることは最初から完璧にできる訳では無いということ。便宜上の回数制の失敗を何度か繰り返して、身体も追いつかせて初めて到達できるということだった。だから、私は結論が書いてある就活本でなくて、先がまだ見えない道を一緒につまづきながら歩いてくれる物語がその時は必要だった。
今だからかもしれないけど、就活の時に読んでたら歪んで素直に受け取れなかったかもだけど、あのとき首を掻きむしって途中で降りてしまった曇りの大井町の駅に、橋の上から見つめていたどす黒い水底に、残してきてしまった私の思念を、少しずつ紙屋と一緒に迎えにいけると思う物語でした。
眉墨流限界就活メソッド
to エーオーさん
遅くなってすみません。
まさかひと月も経っているなんて!!
もう師走ですがお風邪など召されておられませんか。
疾風怒濤の病弱キャラとしてゼミに君臨しておられたので心配です。
ーーーーーーーーー
ままならねえな、と思うことばかりが続く人生です。
気がついたら私の世界は生きづらいこと山のごとしで、「フツーでありながら個性を見せろ」だなんて高次元のボケかまされてこちとら突っ込みきれねえよと暮れのお笑い番組を見ながら舌打ちをしました。
ままならず無茶ぶりばっかりかましてくるナウなジャパンの中で、今年最もパンチがあったのは就活です。
この時期になると、講義中にすでに真っ黒喪服スーツに身を包んだ就活生を見かけます。
のっぺりした光沢のないリクルートスーツを眺めていると、あの葬列のような陰気なやる気が充満した合同企業説明会を思い出して胃がきゅうっと締め付けられ、なんだか口のなかが酸っぱくなります。
何をかくそう、この眉墨自身が就職活動という自らの未来の片方を埋葬する儀式を前に、首をくくり切腹を試みた就活弱者だったからです。
というわけで今回は、迫り来る社会の圧に飲み込まれ押し潰されそうな去年の私のために、「眉墨流限界就活メソッド」をまとめていきたいと思います。
ほぼほぼ精神論であり、テクニックとかは全くないのでギミックで姑息なごまかしが効く程度の平凡凡様は早々に大手新規労働者斡旋所様のホームページでも見ていただくことをおすすめします。
本メソッドは、どう努力しても属する社会から浮いてしまい、「逆に私は何かの天才なのでは!?」と一度でも勘違いしたことのある、集団生活不適合者向けの、トライアンドエラー前提の限界メソッドだからです。
もっと詳しく本メソッド向きの人間の特徴をあげますと、
・集団生活がストレス
・偏差値は真ん中以上くらいの大学
・「もっと私に合わせろよ社会」と思ったことがある
・就活について熱く語ってる人を見ると引いてしまう
・不定期で突然うつ状態になる
・特にいきたい会社や業界がない
以上ざっくり6点に当てはまる方に向いてます。
眉墨流就活メソッドは、「さめた就活」を目指しています。
就活よりもとにかく生きていくのに必死なみなさんのために、眉墨流限界就活メソッドはあるのです。
今回の記事はざっくり黛流就活メソッドの目次。
就活するにあたってみんなが必要だと思い込んで苦戦する不要な努力の紹介と、限界就活の手順です。
もし反響があれば以降何度か就活関連記事を書こうと思います。
ーーーーーーー
眉墨流・限界就活メソッド
◎就活のために必要のないこと~準備編~
大抵マジで無駄です。
大手企業や急成長中のベンチャー(最近ではサイバーエージェント)では、ES受付開始の3月1日より以前に行われている学生向けインターンに参加した学生しか通さないという暗黙のルールのようなものがあります。
サイバーエージェントは先日、2020年からの入社の条件として自社のインターンに参加していた者、という規約を設けることを公に発表しました。
もちろん、参加したからといって必ずその企業に受かるとは限りませんし、特に熱望する業界や企業のない限界就活生にとって力を振り絞って未来に希望を抱いている学生の中へ身を投じて辛くなってまで参加する意味はありません。
インターンに参加して有利になるのは、せいぜいインターン先の企業だけであって他では特に通用しないと思いましょう。
・講習会
本当に無意味。
面接の入室の仕方とか自己分析のやり方とかを講義形式で偉そうなおじさんが一方的に捲し立ててくるだけ。
ググれば面接の所作は出てくるし、自己分析も就活やってくなかで自然に出来上がり固まってくるものだし、就活のおおまかなスケジュールなんかも別になんの規約も無いので、3月1日から二週間の間はES出しまくらなきゃな、来期は忙しくなるなあ、くらいに思っておけば大丈夫です。
経団連に所属している企業は規定で表向きは3月1日からしか募集してはいけないので、なんとなく他の中小も合わせてますが、ベンチャーはおかまいなしに年内にでも内定出してます。(形は内々定だけどオファー通知書という書類をもらえるかどうかだからあんまり変わらない。内々定は内定)
・大型説明会
企業の変革や業務内容はHPでなんとなくわかるし、説明会に参加したところでESは免除されないし、一番知りたい会社の雰囲気はわからないし。
ただただエントリー(仮)させられて各企業の説明会へのお誘いメールがガンガン来るようになるだけです。
それだけのために各ブース15分冷たいパイプ椅子に座り、スーツ来て幕張メッセうろつくのはかなり辛い。
一人で参戦した眉墨は人混みと若者の多さと臭いに気分が悪くなり、一時間ほどで帰ってきて下り電車のホームで貧血を起こしました。得たものは企業からの大量のマイページ作成の催促メールだけ。おうちに居てもできた。
ただ、就活始めた気になれるんで、高い交通費払って気分に浸りたければおすすめ。
・OB訪問
人脈がなかったからできなかったけど、正直OBがいたからといって大手には通用しないからただ社会人とのお茶会になるよ。
企業の内実を知るには有効だけど(面接の内容とか給与のこととか)、人事でなければあんまり有効な人脈とは言えないかなぁ。審査するのその人じゃないからね。
◎眉墨流限界就活メソッドの手順
1、心得
・流されるな!惑うな!
就活は企業と自分の一対一の話なので、周囲を気にする必要は全くありません。
「これはウチらの問題だから入ってこないで!!!」という姿勢が大事です。
・就活に決まった方法はない
就職するためのあれやこれやの流れのことを就活と呼ぶのであり、これやれば必ず通る!ような魔法のマナーややり方はありません。
企業に要請された物を提出し、呼び出されれば応じ、淡々とやることやるだけです。
・病んだらやめていい
新卒ブランドは確かに強い効力を持っているので、人生一度めの就職をするならいい時期です。
しかし、3月解禁・6月内定解禁といえど、募集自体は一年中していますし(新卒枠であれば1月から数えて丸1年)、嫌になったら休んでも全く問題ありません。
仕事に向いてるかどうかは働かなければわからないことですが、就活に向いてないと感じたなら他の生き方を探してみるのもよいと思います。NGOとかね。
とにかく気楽にやりましょう!でないと切腹未遂で措置入院の危機になるぞい!
2、自己分析やらなんやら(3月~満足するまで)
自己分析って結局なんだったんだ?と終わった今でも思ってます。
要は、面接した際に「私ってこういう人なんですよ」と誰も自分を紹介してくれないから自分である程度できるようになっとこう、というものだと思います。
例えば、あなたの友達があなたを他のひとに紹介するとき。なんとかあなたを魅力的な人間に思わせるために、友達はどんなエピソードを話すでしょうか?
いくつかエピソードをもっておいて、さらに文章としてWordなどにまとめて3つほどストックしておくとESにコピペできて便利です。
3、就活サイトに登録しておく(~3月。今からでも。気が向いたときに!)
ほとんどの企業のエントリーは、リクルートなどの大手ウェブサイトを通して、
仮エントリー→企業から直接マイページ開設の依頼が届く→履歴書のようなものを入力させられる
という流れで行われます。
就活用のウェブサイトを通さない求人は、「就活エージェント」という仲介サービスを通している場合が多いので、そちらにもいくつか登録しておくと便利です。
個人的に推しは、キャリタス就活エージェントです。
エージェントは面談を通して効果的な履歴書の文面を考えてくれたり、自己PRをブラッシュアップしてくれます。
さらにはあなたの希望に合いそうな企業を紹介してくれ、いくつか選ぶと面接の日程までセッティングしてくれます!
私は「ホワイト!!!とにかく転勤の無いド・ホワイトで!!!お給料が良いところ!!!あとできれば規模が大きいところ」と主張したところ、ものすごく優良な企業を紹介してもらえました。カッコつけないのがポイントです。
面接の直前には対策までしてくれる(努力家大好きな企業だから頑張りエピソードが聞きます、とか)のに、なんと利用無料。
就活のための秘書のようなものです。使わない手はない。
4、あとは面接だけ
言われるがまま流れに沿っていけ。
以上が眉墨流限界就活メソッドです!あら簡単!どうして周りがあんなお祭りみたいになってたのかわからないわ!!!
とにかくみんな、ご自愛を忘れずゆるく行きましょう。
生存戦略!!!!
ファインディング・ドリーはせいぞんせんりゃくの書
to 黛
殺意をテーマにしようとしたら空中分解したので明るくいきます
*****
"すな、すき。ぺたぺたしてて。ママはむらさきのかいがらがすき。こっちには水がいっぱい、こっちには海藻。海藻の方がいい。 "
ファインディング・ドリーより
1.
ファインディングドリーを初めて観たのは公開当時の大学三年生の夏だ。本編を見る前から予告編で喉の奥が焼き付いたし、本編を観たあとはよっぽど声をあげて走り回りたかった。一緒に見に行った母親とケーキ屋さんに入るのに、ランドマークの下の石畳の回廊で道に迷って「どうしよ、どうしよ」とドリーの台詞を口ずさんだ。まるで水の中みたいに地下の回廊に声が反響していた。
*****
ドリーは健忘症の症状があり、自分で言ったことも人に言われたこともすぐに忘れてしまう。今作ではドリーが自分に両親がいたことを思い出し、どこにいるかも分からないまま会いに行こうとするという筋立てだ。
旅をしていくうちにドリーは昔のことを少しずつ思い出す。ドリーは貝殻が好きだから、家の場所を忘れないように両親が貝殻の道を作ってくれたこと。忘れてはいけないことは歌にしてくれたこと。両親は彼女を尊重し、彼女に合ったやり方をつくっては実践していた。
そう、まるで、である。ドリーは発達障害のような人たちを描いているのではという意見がはてブやツイッターにバンバンあがるように、ファンタジーの皮が無かったら死んでいるレベルのゴリゴリにきわどいタッチで現実を容赦なく抉り出す。いつもはからっと明るいドリーが「誰かに助けて貰わないとどこにも行けないの」「直そう直そうと思ってたのに直せなくてごめんなさい」「頑張っても駄目だったの」と過剰なまでに自分を痛めつけるような言葉を連発するとか、両親が「あの子はこれからひとりで生きていけるの?」と夜中に泣いているのを聞いてしまうとか、思い当たる人には思い当たる、胸が引きちぎられるような場面のオンパレードだ。
”ドリーは私だ”と、観ている時からずっと頭の中で唱えていた。ドリーは私だ。ドリーはわたし。現実がどんなに不理解の連続でも、わたしはあなただと強く思わせてくれる物語がひとつでもあれば、この世で形をたもっていられる。私はドリーの瞬発的な脈絡の無さも、嫌なことがあった時は驚くほどはっきり拒絶するところも大好きだ。
*****
このような感情の流れがあり、「ドリーは私だって思ったんだよね!」とだけ後に某人に述べると「ああ、共感ね(笑)」と見下した感想が返ってきた。
私は怒りの瞬発力で言語を散弾銃にすることに命を懸けているから、まず大前提としてあのディズニーが薄っぺらい描写だけでエモーショナルを誘うようなものはつくらないし描かれるものすべてに意味があるだろと銃弾を備えていたが、「○○も観たって言ってたけど、映画としてはあんまよくなかったんじゃないかって」と続けられ、それについては確かにそうかも……と思う節があったからそのまましぼんでしまった。
私はちぐはぐで錯乱している、現実をうっちゃって必死に物語に活路を見出そうとする人間で、だから引っかかる部分がある。ドリーが何故両親に出会えたのかを、この映画では「あなたらしいやり方で覚えていたからよ」と説明したように思った。そしてドリーは記憶を頼りに進んでいく。
でもさ、それって本当にうまくいくのかな。私にはそんな記憶がないし、助けてくれるタコのハンクのような人にも、居てほしいときに出会えるわけじゃない。再現性をどこに見出せばいい? これは現実のどの事象に当てはめるのが正しい?
そういうもやもやが晴れずじまいだったから、私は褪せた評価のままそのシーンを止めてしまった。
2.
*****
そんなことしなくてよかったんだ!
*****
社会人になって「あ、社会に適合できねえ」という状態を大いに理解した。
まず、言葉が通じない。何それ? って言われるけどその説明のできなさそのものが共通言語の無さだ。結論ファーストで要件を言えと言われると、ふつうなら筋道だてればいいものをさらにそこから「まずは私のバイアスを取り除いて、ふつうの思考形式の範囲を予測して……」とひとつ無駄な操作が入る。ただし、結果としてそもそも普通が分からないので土台無理である。
「世の中にふつうなんてないよ!」と言ってくる人はいるけど、それは革新的なアイデアのような響きをもつわりに、なんにでも当てはまりすぎてもはや何を言ったことにもなってない空っぽの思想だってことに気付いてほしい。もう変であることをアイデンティティにしてるとかそういう段階は過ぎて現実に支障が出ている。変とか変じゃないとか、相対性で判断してくれ。絶対を決めたところで救われねえから。実用性が全くないんだって。
悩みを話せとかいうけど、こういうレベルから食い違いが始まるから、対話すべて新たな怒りと分かり合えない不条理しか生まない。この世は修羅、だって権力の名のもとに言語は統制されるから。来る日も来る日も加算されるなんだか形をとらないまま私を圧迫するディスコミュニケーションのストレスが、これが、社会なんだろうか。詩人とか役者がドロップアウトした背景はここにあり、空気を読めという言説がいかにして幅を利かせるようになったかがよーくわかった。
古今東西、挙動不審になる人間はいて、私は挙動が不審になる側に大いに感情移入する人間だ。挙動不審というのは、もう自分の不振さを自覚しながらそれでもその挙動を止められないものなのだ。
この夏、完全変態Tシャツを買った。蝶が無限に続くマスキングテープも買った。どこかにあると聞いたアジアンセンターで買って昆虫を食べたいとことあるごとに思う。会社の机の引き出しにはお茶のパッケージについた俳句を集めた箱があるし、薬局でリップを包んだ茶色の紙袋から、クリスマスの公民館のにおいがするので小学生のころを思い出して嬉しくなってしばらくの間すーはーすーはー、嗅ぎつづけた。
得意な課題はテンションが爆上がりして目が潤むほどなのに、苦手な課題は寝落ちしてしまうほど集中力の制御ができない。這うように日々をかき分けて進むなかで、虫や短歌やいつかと同じ匂いや、そういうものぶち込んでソリューション。低下した体力となけなしの腕力で、投げた固いロープを張ってそれだけを頼りに、全体重かけるしかなくて掴んでクライム。好きなもので満たされた空間に入り込んで、ただその文章に溺れては潜り、深く息を吸って音やにおいにひたると、私はやっとしずかに自分を満たすことが出来る。
ああ、そうか。物語の筋立てが必ずしも答えではない。
ファインディングドリーの本質はむしろ、”すき”とか”記憶”の効用にあるのではないか。
3.
”好き”という気持ちが何より大事で自分を支えてくれるとはよく聞く。そんなの嘘だと私たちは思う。だってそういうのは超ヒットを飛ばした天才シンガーや大団円を迎える少女漫画の主人公が言う台詞で、そんなアッパーで強靭な意志のある”好き”を軌道に乗せる経路なんて、けっきょくパワーのある者しか建てられない。
でも、もしかしたら。その”好き”はふたつあるのかもしれない。ひとつはちからいっぱい叶えなければいけない、かくあるべきという高みへの”好き”。そしてもうひとつは、懐かしくてやさしいところへ飛び込んで還るためのままある”好き”だ。
”すな、すき。ぺとぺとしてて。””貝殻がすき。”とドリーは思い出す。それは弱ったときの退行や甘えではなくて、力をぬいて、息の吸える場所でもういちどぴかぴかの心とからだを再生させて泳ぐためではないか。
私の好きは小学校の形をしている。母と弟と歩いた公園までの道のにおいをしている。昔に戻りたいという感情に親しみはないけれど、ふと日常に蛍火のような記憶の息吹があり、一度気づけば思いもよらないほどがっしりと、私を支え励ましてくれることがある。
ファインディングドリーの"好き"は、歯を食いしばって手に入れる選択意志の好きではない。いつだって支離滅裂に頭はとっちらかっていて、手がかりは掴んだと思った瞬間バラけてしまう。意識すればするほど自分にさえ自分は思い通りにならなくて、きりきり舞いで肩はガチガチで、だからもういいのだと言おう。"好き"と"記憶"の海流が、まったく足がかりのない現実に燈籠みたいに突然あらわれて君をチャージさせてくれるから、こうすべきだなんて考えないで、あなたはあなたのままで何かを成し遂げられる。
キャラクターは賑やかでクライマックスは派手なこの映画のラストシーンはとても静かで、下手したら意味を見落としてしまう。でもあの演出とそこに描かれた質感こそが、いつもあった自己をようやく肯定した感触なのだと納得がいく。言われるまで思い出せないような、否定しきってたどり着いたような、消極的な"好き"だって本当は自分を支えている。全てをうっちゃった無意識の中に大切なものが無いわけが無い。人類に無意識という余剰を設けたのは、意識に行き詰まったときに海流のようにかくはんされて、その先を見つける生存戦略のためでしょう。
クロヒョウ/黛
to エーオー先輩
薫(かおる)ではなく、黛(まゆずみ)です。
ーーーーーー
文章を書くことができること。本に書いてある内容を理解できること。思いを言葉にできること。
これらすべて、「普通」であるために隠さねばならない事項だと、高校生の時は思っておりました。
22年生きてきてわかったことですが、現代の日本では自分の思いを言葉の配列で表現できない人間が想像をはるかに超えて沢山おります。
それはもう、ブログというほとんど自分たちしか読んでいないような形で文章を公開する私たちのような脆弱な生き物を駆逐するレベルでたくさんです。
要は、文章を書けないこと、書かないことが「普通」なのです。
では、私たちはどうしてこのような亜種に生まれついてしまったのでしょうか。
弱いいきものでありながら考えることのできる葦は、何故存在するのでしょうか。
私が言葉を磨き始めたのは、小学校に入ってからだと記憶しています。
元々、本を読むことが好きで現実嫌いの私は、友達が少なく、活字と空想だけがお友達で、あとは皆よそものでした。
性別の無い卵のようなころころしたこどもが沢山いた限界集落一歩手前の保育園から、既に男だとか女だとかの意識の生まれていた保育園へ投げ込まれた私は、「普通」になる最も重要な要素である男女の分化を理解せぬまま学校へ入りました。
周りの同級生がやれ好きな人だやれ友だちだと騒ぐ中、まだまだヘソの無い幼虫の私はただただ周囲と己の違いに怯え、年齢が二ケタを超える前からぼんやりと死ぬことを望んでいました。
死への親しみが日々積み重なると、それは死に無頓着な何不自由ない「普通」の子どもへの憎悪に変わってゆきます。
幸か不幸か手元にあった沢山の言葉たちを養分にして、憎悪はすくすく育っていきました。
光を全て吸い込む黒。渦巻く底なし沼は、冥界への入り口のように私の傍で常にぽっかり口を開けて笑っていました。
憎悪は、それからも常に私の傍で育ち、私の摂取した言葉を丸呑みして、ついには3つの頭を持つ立派な獣に育ちました。
そのときにはもう、私は高校生で、獣は私が制御できないほど大きく強かになっておりました。
獣の発芽から4年、私はこやつとの死闘を繰り広げてきました。
精神による制御も酒による弱体化もできず、何度も私はこの黒い獣に殺されかけてきました。
少しつついただけで大暴れして、宿主の私ですら頭からかっ食らう凶暴なこやつを、私は「殺意」と名付けました。
今、たまたま良い環境に身を置き、薬で押さえつけているために「殺意」は大人しく眠っていますが、こうして文章を書くたびに、ヤツは重たい頭をのろのろともたげて剣呑な目つきでこちらを見てきます。
しかしながら「殺意」は、私にとって無くてはならない存在になりつつあります。
なぜなら、「殺意」のために私は文章を書くからです。
本を読むこと、学問を修めること、語彙を増やすことは、私のクロヒョウを肥やす行為他なりません。
学び、発することで磨かれていく牙はいずれ、誰もが到達しそこなった新しい次元へ世界を切り裂いていくと私は今信じています。
これを読むあなたは何故、文字を読むのですか。
知を望むのですか。
もしかしたらあなたの中にも、私と同様、クロヒョウがいやしませんか。