圧縮輪廻☆ひねくれポスト

弥生の川に飛び込んだ女と切腹未遂の女の往復書簡

場つなぎの運命/エーオー

1Thup.m.9:58

 

 わたしには“運命”が降ってくる。

 

 積んだ本やとりあえずそこに置くことにした書類で埋まった机を、ぞんざいに掻き分けてA4ノートのスペース分だけ空ける。急いで髪を乾かしたからまだ半渇きだけど、もういい。ミルクティーが用意できればかなり余裕がある方で、後で歯を磨く手間を考えて大抵は白湯になる。暖かいものは、落ち着くから大切。

 椅子の上だけど胡坐をかいて待つ。シャーペンをすぐ握れる場所に用意して携帯でツイッターのタイムラインをひたすら更新して待った。時計を見て、10時ぴったり。

 

—―『桜』、『金属』、『希薄な恩返し』——。 

 

 勢いよくシャーペンを動かしていく。

 木曜日の夜10時、わたしには運命が降ってくる。

 

 

2Frip.m.

 

「まあ、言い方だよね」

「……言い方、ですか」

 手ごたえのない花だ。朝は人身事故で遅延した電車の窓から、川沿いに咲き誇るその春の花を見た。オフィスからも近くの公園も満開のころだ。

 オープンスペースの端の机で、先輩が渋い面持ちをつくって言った。”社会人”と顔に縦線が刻まれているようだった。

「いや、ハリマさんが間違っているわけじゃないんだけど、間違ってないんだけど、世の中そのまま言い切らないでちょっと余地を持たせた方がいいこともあるわけよ」

「……はい」

「『これをこうします!』って言いきり方だと、相手はそれが決定事項だと思っちゃうわけ。だから、例えば、『ちょっと仮にこれを、こうしたいなと考えてみたんですけど、それってできたりしますかね?』とか、疑問形で相手に投げるとかさ」

「あ、はい。なるほど……」

 社会人人生は二周目に差し掛かった。わたしが一昨日顧客とのやりとりで揉めたことについての話だった。既にこの件に関しては先輩が先方に電話をして、全てひっかぶった後だった。

「もちろん相手にもよるけどね。ちゃんと喋った方がいい相手はもちろんそうしたほうがいいけど、言葉は砕けても持ち上げた方が意思疎通できることもあるだろうし」

「はい」

「まあ、答えはないからさ。特に営業だし、それこそ人柄で許されるってところもあるから――」

 会議室に繋がる扉が開いた。何人かが出入りしているところだった。10時のチャイムが鳴り、オフィス内が少しざわついて、そういうことで、と先輩と今後の対応の仕方を話し合って立ち上がった。

 一瞬、言うか言わないか迷ったように立ち止まって、声をひそめて先輩は告げた。

「あのさ、ごめんな、言い方きついかもしんないけど、ハリマさんは融通がきかないって印象がつくとそれはよくないからさ」

 そういう前置きをする先輩の言うことは、いつもそこまできつくないのをわたしはもう知っている。

「……いえ、先輩がおっしゃる通りだと私も思うので、気をつけます」

 何かを成そうとすれば、言わなければならないことができ、それを相手を慮って言うことはさらに難しい。だから、人をいたずらに傷つけないで伝えることが当たり前のように良しとされるこの環境は恵まれているとさえ思う。

 もう一度、窓から外を見た。丸く生えた緑の芝生とくりぬかれた砂の道でできたお手本のような公園が眼下にある。明るい光の下で桜の花びらは彩度を欠いて、四月特有の大気の霞みと相まり、群を成して咲いているのに呆けて見えた。

 

 冴えない。景色も頭も。

 

2 Monp.m.11:00

  

 眼科でさんざん待たされた帰りだった。あらゆる壁面に鏡がはめられて自分の腑抜けた姿を意識させられる院内のつくりも、顔に刻まれた隈をまざまざと見せつけられる青白いライトもぜんぶ気に入らなかった。 
「——なんか、ほんとコミュニケーションをとってこなかったツケが回ってきたみたいな
相手と喋り終わってからあーすればよかったなって気づくんだよね」
『うん』
こう、
根本的に営業職に向いてない気もする」

 やっとのことでもらってきたコンタクトレンズを机に置く。定期的にレンズを郵送してもらうプランに入ったが1年の更新手続きを怠って2か月が経過していた。レンズがなくなりそうになって今日慌てて処方箋をもらいに行き、その登録更新はこれからしなければならない。2か月前に届いたメールをなんとか探し出し、ブラウザを開く。なかなか立ち上がらない。諦めて受信したメッセージを先に見ることにした。
それはさー、まだわかんないしそこであきらめちゃだめじゃない?』

『今の段階では』
 ラインを一度閉じる。ようやく入力項目の案内のあるページが現れた。パスワードを入力する必要がある。舌打ちした。もちろん覚えていなかった。

『もう馬鹿のふりしときゃいいじゃん。口でははいはいすいませんでした~って持ち上げて言っといて心の中ではクソって思っとくとかさ、よくあるおだてて持ち上げるってやつだよ』
「いや、そうするけどさ」

『そんなこと世の中でいっぱいあるよきっと』

『いちいち真面目に受け取りすぎなんだよ
『そこはまあ、私の場合は適当すぎるかもしんないけど』
 メッセージに既読を積もらせる。隔たりはついぞ埋められず、そのまま携帯を机に伏せて風呂に入る準備を始めた。

 

 ——『桜』、『金属』、『希薄な恩返し』——。
 大丈夫、大丈夫よ。わたしは大丈夫。 

 

 

3.Wedp.m.7:00

 

 広場の中央通りを二列、両側から囲うように桜が並び立って花道の終わりさえ見えないほどだった。その桜が続けば続くほど、同じ長さのブルーシートがその下に敷かれ、そのしわに赤銅色の行燈の明りが反射して鉄道模型に流れる川みたいにノスタルジックに光っていた。

    上野公園が花見スポットだなんて初めて知った。 いつも公園には目もくれず、外側だけ淵をなぞって恐竜のいる博物館に一目散だったからだ。

「それでは、新卒社員の皆様の入社を祝して、乾杯!」

 ビールケースで作られた簡易的なテーブルで、社員一同向かい合って杯を掲げる。人事の鮎川さん主導でかなり頑張って競争率の高いこの会場を確保したとの噂だった。

「ーーさんは大学で何を勉強してたの?」「もう同期の子とは喋ったりしたーー?」「ーー卒業旅行はどこに行ったの?」

    みなひとくち飲み物に口をつけ、おずおず感触を確かめるような会話が飛び交い始めた。大丈夫。近くにいる鮎川さんは人事の手腕でリズムよく会話をつなげ、相手に程よくつっこんだりおどけたりしている。宴会の端っこの方から早くもわっと歓声が上がった。私はボールが途切れた時のために、振れそうな話題を必死で探す。もう先輩になってしまうし、それぐらいしないと。そういうつもりだけど。よくたわむ透明の使い捨てのコップは、握るたびに中の液体が不安定に傾いだ。
「ハリマさん、楽しんでる?」

 半時ほど時間が経過したころだった。隣にある君島さんが話しかけてくれた。その拍子にガガガッ、とビールケースの机と地面が擦れる音が鳴った。反射的に身がすくみ、手からコップをとり落としそうになる。
「あっ、はい。お疲れ様です」
「今ね、〇〇くんが映画の話してたけど、ハリマさんたしか大学そういうの勉強するとこだったよね」

 物と物のこすれる音がだめになってしまった。分類すればそれは爪で黒板を引っ掻いた時と同じで、普段は聞いた瞬間だけ不快感を覚えて終わるはずなのに、嫌な感覚が持続して、何度もぞわぞわと落ち着かなくなる。ふとした時にその音が過ぎり、いつそれが頭の中で鳴るか怯えながら過ごしているのに、いっそ突き抜けるまで聞き続けて慣れてしまいたいような、自己破壊的な願望が理性を超えて遁走し、自分で自分の身をえぐるようにその音の感覚をひたすら思い出してしまう。
「そうですね、映画見てレポートとか書く感じでした」
「へえ~、おもしろそうだね」
「おもしろかったです。こう、世の中で考えたらきりがないよって言われる倫理みたいなものに、自分なりに理を通して一度答えを出すのが楽しくて、」
 桜は、無為に積もったおがくずのように重さを感じさせることなく宵闇にぼやけていた。大きくしすぎた綿あめのような行き場のないほどの満開さだった。

「ハリマさんは好きなこと話すときに目が輝くね」

 そう言って君島さんは笑って、ビールを一口煽った。わたしはその返答の逆説を考えて口をつぐもうかと思ったけど、他に話せることがなかったのでつっかえながらそのまま続けた。近くにいるみんなはにこにこそのまま話を聞いている。ああ、これはドラマでよく見る和気あいあいとした職場を表すシーンみたいで、こういう”ふつう”の光景は本当にあるんだなあ。

 頭では分かっている。みんなが優しいこと。わたしが所在なさげにしていたから話しかけてくれたこと。でも全て演出みたいに見えてしまって、わたしを満たしてはくれない。

   石畳の窪みに砂利と一緒に桜の花びらが吹き溜まる。月光をうけてちらちらと、固く光って花は散っていた。

 

4.Thup.m.9:00

 

 ある集団が、個々人ではどうしようもできない大きな運命に晒されたときに、その成員一人ひとりに、それまで自身も自覚していなかったような価値観、世界観が表出し、それがぶつかりあうことによってドラマは展開していく。

                 ———『分かり合えないことから』平田オリザ

 

    最後の追い込みだった。ノートとひっきりなしに見比べながら必死でキーボードを叩く。大丈夫、うまくはないけど話の筋はなんとか引き寄せられてる。伏せて開きっぱなしにした小説をひっくり返してフレーズを頭に入れる。わかるわかる、この文体のテンションで書いてみたかったの。

    木曜日の夜10時、わたしには運命が降ってくる。そう決めた。これは前回の運命を自分で作りきろうとしているところ。現実の事象が脈絡なく通過していくだけで、革命はわたしには起こらないから手作りするしかなかった。私は物語を書いてこの世に理を通す。

 自分の意識の持ち方次第でつまらないと思っていたことも面白く感じられたら伸びる? 馬鹿も休み休み言えよ。ゼロの状態から脳みそを楽しいよって騙すにもコストかかってんだよ。

 話すだけで心が軽くなるとか本当に思ってんのか? 同じ業を抱えた人間以外はみんな芯を外したアドバイスしかしてこないのに、でも笑ってありがとうって受け止めなきゃいけないし、話してその場では浮上してなんとかなった気になっても、家に帰ってから何も解決してなかった問題が素知らぬ顔でおっ立ってんのに独りで向き合わなきゃなんないんだよ。 

 重みなく降り積む、心まで沁みこまないやさしさをふりきって無視してわたしは刃を研ぐ。その刃で無理やり不完全でも正体を暴こうとした私に歯向かう事象を切りつけたい。咲く花より、散る瞬間に鋼のようにぎらっと煌めいて落ちた花弁のほうががいい。ぐちゃぐちゃに踏みつけてどす黒いジュースにして鋳型に流し込んでガンガンに固めたい。

回れよドラマ。三題噺が、遠心分離機のように、和紙をつくる木の枠のように、わたしを苦しめるものに片をつけて名を与えてくれますように。わたしを押しつぶしてならそうとする歯車があったことを、せめてこの断末魔を記録することで怨念が残ってあとの人が復讐を遂げてくれますように。

もうすぐ10時。私は次の運命を待つ。こうやって持ちこたえているうちに、ほんものの撃鉄がわたしにどうかあってほしい。

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to 黛

 

というわけで、書く場所をくれて本当にありがとう。さらざんまい面白いですね。完全にピンドラを頭に流しながら書きました。