圧縮輪廻☆ひねくれポスト

弥生の川に飛び込んだ女と切腹未遂の女の往復書簡

クロヒョウ/黛

to エーオー先輩

薫(かおる)ではなく、黛(まゆずみ)です。

 

 

 

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文章を書くことができること。本に書いてある内容を理解できること。思いを言葉にできること。

 

これらすべて、「普通」であるために隠さねばならない事項だと、高校生の時は思っておりました。

22年生きてきてわかったことですが、現代の日本では自分の思いを言葉の配列で表現できない人間が想像をはるかに超えて沢山おります。
それはもう、ブログというほとんど自分たちしか読んでいないような形で文章を公開する私たちのような脆弱な生き物を駆逐するレベルでたくさんです。

要は、文章を書けないこと、書かないことが「普通」なのです。

 

では、私たちはどうしてこのような亜種に生まれついてしまったのでしょうか。

弱いいきものでありながら考えることのできる葦は、何故存在するのでしょうか。

 

 

私が言葉を磨き始めたのは、小学校に入ってからだと記憶しています。

元々、本を読むことが好きで現実嫌いの私は、友達が少なく、活字と空想だけがお友達で、あとは皆よそものでした。


性別の無い卵のようなころころしたこどもが沢山いた限界集落一歩手前の保育園から、既に男だとか女だとかの意識の生まれていた保育園へ投げ込まれた私は、「普通」になる最も重要な要素である男女の分化を理解せぬまま学校へ入りました。

周りの同級生がやれ好きな人だやれ友だちだと騒ぐ中、まだまだヘソの無い幼虫の私はただただ周囲と己の違いに怯え、年齢が二ケタを超える前からぼんやりと死ぬことを望んでいました。

死への親しみが日々積み重なると、それは死に無頓着な何不自由ない「普通」の子どもへの憎悪に変わってゆきます。

幸か不幸か手元にあった沢山の言葉たちを養分にして、憎悪はすくすく育っていきました。

光を全て吸い込む黒。渦巻く底なし沼は、冥界への入り口のように私の傍で常にぽっかり口を開けて笑っていました。

憎悪は、それからも常に私の傍で育ち、私の摂取した言葉を丸呑みして、ついには3つの頭を持つ立派な獣に育ちました。

そのときにはもう、私は高校生で、獣は私が制御できないほど大きく強かになっておりました。

 

獣の発芽から4年、私はこやつとの死闘を繰り広げてきました。

精神による制御も酒による弱体化もできず、何度も私はこの黒い獣に殺されかけてきました。

少しつついただけで大暴れして、宿主の私ですら頭からかっ食らう凶暴なこやつを、私は「殺意」と名付けました。

 

今、たまたま良い環境に身を置き、薬で押さえつけているために「殺意」は大人しく眠っていますが、こうして文章を書くたびに、ヤツは重たい頭をのろのろともたげて剣呑な目つきでこちらを見てきます。

 

しかしながら「殺意」は、私にとって無くてはならない存在になりつつあります。

なぜなら、「殺意」のために私は文章を書くからです。

本を読むこと、学問を修めること、語彙を増やすことは、私のクロヒョウを肥やす行為他なりません。

学び、発することで磨かれていく牙はいずれ、誰もが到達しそこなった新しい次元へ世界を切り裂いていくと私は今信じています。

 

これを読むあなたは何故、文字を読むのですか。

知を望むのですか。

もしかしたらあなたの中にも、私と同様、クロヒョウがいやしませんか。