圧縮輪廻☆ひねくれポスト

弥生の川に飛び込んだ女と切腹未遂の女の往復書簡

就活本に魂を抜かれたら『会社を綴る人』を読んでほしいこと/エーオー

to 黛


大変お待たせしております!

1月はほぼ体調不良でしたが、2月からはうまく行きそうな予感がします。

とにかく構成力が落ちたなあと思うので、筋トレみたいに文トレしないとですね……


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さて、今年も頭はぎりぎり痛み胃は捻じれる季節がやってきますね、就活です!

 

きっとこれから大学の説明会で輝くOBらが「自分語りを公然とできる機会なんてそうそうないので、就活って実は楽しいですよ〜!」などと述べることでしょう。なるほどね、一周回って分かりそうな原理だな、と当初は思っていましたがマ~~~~~~~~~ジで毛ほどもそんな感情になることはなく終わってみれば私の掌には握り固めた殺意しか残っていませんでした。人間には元来備わった気質というものがあります。私は紛れもなく“陰”の側です。

 

そんな私の陰鬱就活期は、まず就活本に取りつかれ妄想の中の面接に不安を増幅させ魂を抜かれるところから始まりました。説明会で企業理念をもろに浴びて感動反射で号泣したり、人事の喋り方の演じてる感に拒絶反応を起こしたり、スーツ姿で駅のホームの柱の周りを延々と回り続けたり、挙句の果てにESがどう足掻いても書けず3月下旬の深夜3時に説明会を片っ端からキャンセルし、裸足で家を抜け出してクソ寒い川に逆ロッククライミングし自殺を図ったりして一度頓挫します。序盤も序盤すぎないか……?

 

合わない人間には尽くトラウマを与える就活、もう1~2年前の出来事なのに(今はもうなんとか無事会社に就職さえしているのに)、コンプレックスは拭えません。自分よりうまく就活を進めている後輩を見ると嫉妬で黒々と臓腑が煮えたぎり、比喩でなく手に取れるレベルで脳が当時の荒涼とした空気感をリアルに再現し始めます。「漫画においてキャラの過去のトラウマが、黒い枠の中で展開される時とかこんな感覚かな?」みたいな妄想をする方向にしか汎用性がない感覚です。

 

そんな激鬱就活生だった私は、血液検査の結果を取りに行った小児科の待合室でこの本を読み、いい年して泣きながら診察券を受け取る羽目になりました。

 

会社を綴る人

会社を綴る人

 

あらすじ:何をやってもうまくできない紙屋が家族のコネを使って就職したのは老舗の製粉会社。唯一の特技・文を書くこと(ただし中学生の時にコンクールで佳作をとった程度)と面接用に読んだ社史に感動し、社長に伝えた熱意によって入社が決まったと思っていたが――配属された総務部では、仕事のできなさに何もしないでくれと言われる始末。ブロガーの同僚・榮倉さんにネットで悪口を書かれながらも、紙屋は自分にできることを探し始める。一方、会社は転換期を迎え……?(後略)

 

もうね。何があれって、思い当たる節が多すぎる! まず1ページ目からメール一通書くのにゴリゴリ悩む主人公をわざわざ描写するのを見た時点で心のダムはフルーチェのようにもろもろになり、就職活動の最中に『完全自殺マニュアル』を図書館で借りて読む主人公の描写で完全に作者を信頼しました。たかがインフルの予防接種依頼メールに悩む主人公だぜ? わかる! ビジネスメールが組み立てられなさすぎて身体中に変な汗をかくあの感覚!『完全自殺マニュアル』は欲しくなるよね、わかる! 私は説明会に行く途中で「自殺 痛くない」でひたすら検索をかけては電車を飛び出して家に引き返した!


他にも、主人公に優しくはないけれど、あらゆるフォーマットや仕事の進め方の手順の記録物を持つ総務部上司の栗山さんは、自分は軽度の発達障害かな〜と疑う身にはなんとなく感ずるものがあったり、訳あってプレゼンを作成することになりトークで何とかしろとアドバイスを受けた主人公は「それは自分にはできない」ことを明らかにしてその上で解決策を練ったりする。そもそも、社史に感銘を受けて会社に入ろうとする主人公の気質こそ、いま考えれば近しく感じて手にとったきっかけかもしれない。

そういうものの一つ一つが、卑近な言い方だけど、でも物語を読む時に一番信じている、「これは、私だ…!」という感覚を呼び起こさせてこの本は絶対に裏切らないと思わせてくれた。


人間には元来備わった気質というものがある。たぶん、私は言葉が好きすぎて、本気で受け取りすぎてしまうから、就活本に取り憑かれて全く身動きが取れなくなって、企業HPにある言葉にさえ涙してしまう。そこに書いてあることなんて話半分で聞くもんだよと言われたって、でも偽物だと言い切るにはすこし芯がありすぎるから、無視しきれなくてコンパスの針が狂うように惑い、結局本気を原材料にすることでしか文章を書くことができない。だから、私は物語の終盤で、主人公の紙屋が選んだ道と彼の兄の言葉は救いだと思う。どうしてもなれないものに、気質に、社会に、決してなれとは言ったりしないでいてくれてありがとうと思ったのだ。


演劇部で鍛えた声の野太さにより川から引っ張りあげられ生き残った私が気づいたことは、頭の中で思い描いてることは最初から完璧にできる訳では無いということ。便宜上の回数制の失敗を何度か繰り返して、身体も追いつかせて初めて到達できるということだった。だから、私は結論が書いてある就活本でなくて、先がまだ見えない道を一緒につまづきながら歩いてくれる物語がその時は必要だった。

 

今だからかもしれないけど、就活の時に読んでたら歪んで素直に受け取れなかったかもだけど、あのとき首を掻きむしって途中で降りてしまった曇りの大井町の駅に、橋の上から見つめていたどす黒い水底に、残してきてしまった私の思念を、少しずつ紙屋と一緒に迎えにいけると思う物語でした。