圧縮輪廻☆ひねくれポスト

弥生の川に飛び込んだ女と切腹未遂の女の往復書簡

ロード・リスタート/黛

ここからはもう、余生としよう。
わたしは3回死んだのだから。

 

 

高校生の時分、私は演劇部で役者をやり、教室では室長で、成績も悪くなく体育祭や文化祭ではクラスの女の子から声をかけられて一緒に写真を撮りまくれる、そんな「理想的な」17歳だった。

しかし一方で3日に渡り行われる学校祭、三日目の体育祭のあと、必ず過呼吸で気絶し、「黛って変わってるよね」と言われる度にトイレに駆け込んで嘔吐し、「まともであらねば」という強迫観念にかられてじっとしていられず、毎朝5時に起きては公園を走り回っていた。

 

 

人に迷惑をかけるのを異常に恐れ、「どうしてみんなと同じにできないの」という幼き頃の母の呪文に縛られ、『許容されるヘン』を追求しクラスの愛されキャラを独自研究して箇条書きにし、『人気者』『おもしろキャラ』を偽るわたし。

暴れ狂う獣のような感受性を制御できず、本来ならば両親に向かうはずだった容赦ない言葉を教員や部員傷つけるわたし。

 

いつしかその二つは熱烈に絡み合い、2本のポリヌクレオチド鎖が睦あって一つの個体が生まれるように、テーゼとアンチテーゼを共存させた破裂寸前の宇宙な私が生まれた。

 

どうにも両親の所に居るのが落ち着かなかった私は、不相応の都内国大を受験し、滑り込みで都会へ逃げ込んだ。
2015年春から現在に至るまで、さながらBIG-BANG!な私は何度も破裂しそのたびに大量服薬、首つり、切腹自殺を企てては失敗した。

 

 

 

本来ならば何度も繰り返すべきではない臨死を繰り返し、転生し続ける私のキモいただの記録と思考の事例を、私のヒステリーを、尊敬する先輩の一人である大学のゼミOGのエーオー!さんとの往復書簡によって「つらみ」に拍車をかけ、これを読む全ての思考停止ジャパニーズな皆々様の心臓めがけて矢を放ち傷つけたい。

 

『圧縮輪廻☆ひねくれポスト』はそんなキモい思い付きから始まった。

この仮想交換ノートは、死ぬに死ねない不死者の咆哮だ。走馬燈だ。

 

 

思考を捨て思想を捨て、不感症のぬるま湯に浸りきった皆々様、始めまして。

私が、黛です。

こころを、/エーオー

1

「あ、」と悲しくなった瞬間、すぐ広げたもの折りたたんで立ち去る準備をしている。

階段状に展開する固形絵の具きらびやかな丸窓、鏡台付きの光沢こぼれるメイクボックス。期待してはだめ。少しでも気を許したが最後、楽しくなって見せていたこまごまとしたものを、死に物狂いでかき抱いてみじめにまろび駆けていかなければいけない。

私と他者の差はたぶん躊躇いのなさだから。ひれ伏してしまいそうになる甘い妄執が追いつかないうちに、切り捨てた痛みのこと強さだと思いたい。

2. 【分岐1】しめる

最近の若者は会社の飲み会に行きたがらないらしい。らしいというのは、私がその範疇から外れてしまったから。なんか恥ずかしい。「変わってるね」と言われ続けてきた人生だから、てっきり自分もニュータイプの範疇に入るものと信じきってた。蓋を開けてみたら23歳になってようやく、"世の中"の戯画的なテンプレにぴったりフィットで。"飲み会でつまらない話をする上司"の気持ちの方に共感するのが容易い精神状態なのは、いったいどういう因果なんだろう。

最近やばい。ほんとにやばい。自分を制御出来ないことが多い(大丈夫か?)。口癖が「私のこと分かってほしいんだよね」になっているし、体力のNASAからくる厚かましさとなりふり構わなさ、隙があったらずっと喋ってしまうし相手の話も遮りがちで大して聞いてない。酸素の薄い頭で思い当たるのは、よくある店員さんにひたすら怒鳴るご老人の話で、きっと体力落ちて身体の自由が効かなくなると人間どうにも当たり散らしてしまうよねと、絶対に2周もやる必要のない人生の終盤分野の先取り学習をしている。

なんかちょっとわかった気がする。私が"変わってるね"と言われる原因はこの、ガッタガタの感情体験の時間軸かもしれない。

グダリたい・だべりたい・まだゆっくりしたいねって駄々をこねてみたいという、どこかノスタルジックで、いじらしく見えた欲求は、思春期の時に消費しておかないととても食べられなくなってしまうものだったんだろうか。

巻き戻る記憶は高校生のときで、そういえば手の込んだ容姿と放課後を持て余してクリームみたいな時間で埋めてた同級生はいただろうなということ。あらゆる振る舞いを、階層の線引きなど存在しないかのようにためらわず踏んで行けることこそ選ばれた人達がそうある理由だ。私は残された道を行くしかないから、手に入った身の程の青春も悪くないよって、勉強のために風をきって「サヨナラ」って言える自分をでも、ちょっと好きになれた。そうか。そうかぁ。全然、ぜんぜん分からなかった。彼女達のあの日々は大人になった時に見苦しくこの切望を振りかざさないための練習だったんだね。知らなかったよ。全然。私に、教えてくれたらよかったのに。

なりふり構わず愚痴をたれるのは親密な他者との関係で飽和できなかったから。グダる力、だべる力を今更獲得した私、あの頃から世の酸いも甘いも知っていたあの子達とっくにこのことに気づいていて、だからパートナーを手に入れる努力をしていたんだな。なんとな〜く帰りたくないな〜というメッセージを、潔癖と純情と甘えの霧に交ぜてドライアイスの煙みたいに発する術を、傷つきたくなくて期待をコーティングする術を、やっとおっかなびっくり使う私を、振り切って帰るべき場所が彼らにはあって、そういう事実を目のあたりにしていちいち、いちいち寂寥が波打って胸が塞がってしまう。

3.
ずっと頭がいたい。
車輪の下を読み終わって初めて、私は常に頭痛気味だなってことを知った。特異点の隙間のスーパーボール、終わらないバウンドの超短距離の往復。ひとり砂山の両側を劇的な速度で削って、足場無くて泣くネガティブ空想棒倒し。そういう頭の痛さがある。
締めるとゆるめるを制御できない。もうこんなことまでベラベラつまびらかに喋るのはやめようってネジをきつく締めれば締めるほど、どっかがゆるんでシューシュー漏れてく。
そう。あの日切り捨てたはずのものが後から追いついてくるのならば、今日までの智慧で迂回装置を作れるだろうか。
ねえ、私は螺旋階段パレットです、メイクボックスです。知ってますか? チャコールキャニスター。車はちゃんとエンジンタンクから気化した有害物質を吸着する装置を載せてるんですよ。
慟哭する希求があるのなら、火花爆ぜきるまで反応し合う安全装置を付けていきましょう、科学は日々進歩するので。物語はそのための、捏造した愛すべき他者との往復書簡だから、なんにも、なんにも淋しいことはないよ。

光ったことはなくならないので。